【衝撃】金持ちすぎワロタwww歴史上の大金持ちTOP5

第1位 チンギス・ハーン (約1京円以上)

推定資産:約1京円以上(約100兆ドル以上)
大金持ちになれた理由:ユーラシア大陸の大部分を支配したから。
享年:65歳(1162年に誕生・1227年に死去)
時代:鎌倉時代

大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。
 
死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。特に故国モンゴルにおいては神と崇められ、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている。

ウィキペディア「チンギス・カン」より一部引用

教科書でもおなじみのチンギス・ハーンです。チンギス・ハーンはモンゴル帝国初代皇帝で、モンゴル帝国の基礎を築いた人です。ちなみに鎌倉時代の日本に攻めてきたのはフビライ・ハーンでチンギス・ハーンの孫にあたります。

チンギス・ハーンは当時最強といわれる軍事力がありました。その軍事力の秘密が、騎馬部隊です。チンギス・ハーン率いる騎馬部隊はすぐさま駆け付け、ユーラシア大陸にある国を次々に滅ぼしました。

チンギス・ハーンは中国の北半分を支配していた「金王朝」や中央アジアの強国であったホラムズ=シャー国を征服しました。またサマルカンド、ブハラなどの都市を破壊したり、イランにも侵攻したりしました。

ランクイーン

チンギス・ハーンが歴史上で一番大金持ちだなんて意外だわ

ラン王

チンギス・ハーンが大金持ちになれたのも、騎馬民族ならではの強力な軍事力素早い伝達網があったからなんだ。

第2位 神宗 (約3351兆円以上)

推定資産:約3351兆円以上(約30兆ドル以上)
大金持ちになれた理由:自身の政策で中国の国家財政を好転させたから。
享年:37歳(1048年に誕生・1085年に死去)
時代:平安時代

神宗(しんそう)治世後半には新法が全国に適用され、北宋の全盛期を迎えることとなった。国内の改革に成功した神宗は、西夏への侵攻を計画する。しかしこの軍事行動は失敗に終わっている。
 
西夏との敗北を期に健康を害した神宗は、1085年に38歳で崩御する。神宗の死を境に、宋は急速に衰退していくこととなった。

ウィキペディア「神宗」(宋)より一部引用

知っている人は圧倒的に少ないと思われる人物です。この神宗は皇帝に即位したときに、王安石という人物を登用し、軍事費の大幅削減などの画期的な改革を行います。ただ政権内の権力闘争に振り回されたりしたため、有能な部下である王安石を一度解任してしまったこともありました。

神宗は貿易復興をしたり、銅銭を大量に発行して国家財政を潤した功績があります。そのため、巨万の富を築けたものと思われます。神宗の個人資産は当時の世界全体のGDPの30%を占めていたと言われています。しかし、それ以降有能な皇帝が現れなかったため、宋は急速に衰退していきます。

第3位 アクバル大帝 (約2346兆円)

推定資産:約2346兆円(約21兆ドル)
大金持ちになれた理由:ムガル帝国を発展させたから。
享年:63歳(1542年に誕生・1605年に死去)
時代:戦国時代

アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、中央アジアからの流入者であった祖父バーブルの立てたムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させた。そのため、マウリヤ朝のアショーカ王に並び称されることもあり、大帝の称号を与えられている。
 
アクバルは、アショーカ王やスール朝のシェール・シャーとともに最も成功した君主であり、インドの最も偉大な王であり融和の象徴として、現在のインドでも人気が高い。

ウィキペディアの「アクバル」より一部引用

アクバルは、祖父のバーブルが建国したムガル帝国の第3代君主です。1555年に父のフマーユーンが事故死したことにより、13歳で第3代君主に即位します。

アクバルは、民族などの出自に関係なく人材登用を実施しました。その他にも結婚による同盟などでインド北部の大部分を支配しました。また人頭税の廃止や官僚制を整えたりしました。その結果、国家を発展させることに成功し、ムガール帝国の最盛期へと繋がる基礎を築きました。

その当時インドは世界の中でも最も栄えた国であり、当時の世界のGDPの25%を占めていたと言われています。ただそのようなムガル帝国も、1858年のイギリスの植民地化によって、消滅してしまいます。

第4位 アウグストゥス・カエサル (約517兆円)

推定資産:約517兆円(約4兆6300憶ドル)
大金持ちになれた理由:広大なローマ帝国を支配した初代皇帝だから。
享年:58歳(紀元前102年に誕生・紀元前44年に死去)
時代:弥生時代

ガイウス・ユリウス・カエサルは、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。「賽は投げられた」、「来た、見た、勝った」、「ブルータス、お前もか」などの特徴的な引用句でも知られる。また暦で彼の名称が使用されていた(ユリウス暦)時期が存在していた。
 
古代ローマで最大の野心家と言われ、マルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となった。

ウィキペディアの「ガイウス・ユリウス・カエサル」より一部引用

カエサルはローマ帝国の皇帝の中でも英雄扱いされる人物です。カエサルはガリア遠征で名声を得た後、ルビコン川を渡ってローマに進軍し、ポンペイウス軍を破り、内戦に勝利しました。その後、エジプトのプトレマイオス朝のクレオパトラと結婚します。終身独裁官として権力を集中させるも、それを好まないブルートゥスらに暗殺されます。

カエサルは愛人のプレゼント費用やローマ建築を建てるための費用を工面するため莫大な借金をしていました。その額はローマの国家予算の1割だったと言われています。巨額の借金はカエサルが属州の総督をしていたときの蓄財で完済したそうです。

カエサルは当時最も繁栄していたローマとエジプトを支配していました。そのため個人資産は世界のGDPの20%を占めていたと言われています。しかし、晩年は経済的に困窮していたと伝えられています。

第5位 ソロモン王 (245兆円)

推定資産:約245兆円(約2兆2000億ドル)
大金持ちになれた理由:民衆に重税を課し、イスラエル領土を拡大したから。
享年:80歳(紀元前1011年に誕生・紀元前931年に死去)
時代:縄文時代

ソロモンは、旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエル(イスラエル王国)の第3代の王(在位紀元前971年 – 紀元前931年頃)。父はダビデ。母はバト・シェバ。エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を確立、古代イスラエルの最盛期を築いた。正教会で聖人とされる。

ウィキペディア「ソロモン」より一部引用

おそらく、ソロモンという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。ソロモンは知識が豊富であり、周辺諸国にも知れ渡るほどでした。また指輪を使って動物や植物と会話したりするなどの能力があったそうです。

ソロモンはエルサレム神殿を建てたことで有名です。また交易を拡大するために要塞化された補給基地を建設しました。他にも近隣王国と政略結婚をして自国を強国に育てました。

ソロモンはイスラエル王国の領土はユーフラテス川からガザにまで拡大しました。また野心的な事業のために、民衆に対して重税を課すなどしました。支配地から毎年25トンの金の延べ棒を受け取っていたと伝えられます。

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