【衝撃】マジでビビる!世界の歴史を大きく変えてしまった日本人TOP10

第10位 豊臣秀吉

享年 61歳(1537年3月17日~1598年9月18日)
時代 戦国時代
影響 朝鮮侵略


豊臣秀吉は天下統一後に、明を征服するために、1592年に朝鮮出兵を行います。加藤清正らの活躍もあり、一時的に朝鮮半島を征服することができました。

1592年の文禄の役では、1か月で朝鮮半島の首都「漢城」(ソウル)を陥落させ、2か月後には現在の北朝鮮の最北部まで侵入して、朝鮮半島を制圧します。

しかし、明の援軍が押し寄せたことや、李舜臣(リシュンシン)による亀甲船による水軍の攻撃、慶長の役の途中で秀吉が死去したので、日本軍は撤退します。

日本軍の侵攻により、朝鮮半島では復興に膨大な時間を費やしました。また明は日本軍との戦いで多くの兵を失ったことにより国力が衰退し、北方の異民族に滅ぼされ、「清」が建国されることになります。

参考:ウィキペディア「豊臣秀吉」
ウィキペディア「文禄・慶長の役」
東洋経済オンライン「なぜ豊臣秀吉は『朝鮮出兵』を決意したのか」

第9位 野口英世

享年 51歳(1876年11月9日~1928年5月21日)
時代 明治時代
影響 黄熱病の発見


野口英世は、1911年に梅毒スペロヘータの純粋培養に成功し、国際的に認められた医師です。しかし、51歳という若さで黄熱病にかかり、ガーナで死去しました。

野口英世は毒蛇の毒を消すための研究や、梅毒の研究、さらには南米に訪れて黄熱病の研究を行い、医学の発展に貢献しました。

野口英世は細菌学者として世界中で有名になり、彼の活動は世界中の伝染病の謎を解き明かすきっかけになりました。

参考:ウィキペディア「野口英世」
歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランド「野口英世ってどんな人?年表や業績を小学生向けに解説!

第8位 北里柴三郎

享年 1853年1月29日~1931年6月13日
時代 幕末・明治・大正・昭和
影響 ペスト菌の発見


北里柴三郎は破傷風菌の培養や、血清療法の確立、ジフテリアと破傷風の抗血清開発、ペスト菌の発見といった細菌分野で功績を挙げ、国内外で、伝染病予防と治療に貢献しました。

北里柴三郎は私立北里研究所(現在の学校法人北里研究所)を設立し、赤痢菌発見者の志賀潔や、黄熱病の研究をした野口英世といった優秀な人材を育てました。

北里柴三郎は日本の近代医学の初期に予防医学の礎を築き上げ、日本の医学の発展に貢献し、世界の医学界に衝撃を与えました。

参考:ウィキペディア「北里柴三郎」
北里大学北里研究所病院「近代日本医学の父、北里柴三郎 受け継がれる北里精神の原点」

第7位 岩倉具視

享年 57歳(1825年10月26日~1883年7月20日)
時代 幕末・明治時代
影響 日本の力強さを伝える


岩倉具視は1871年12月から1873年9月まで岩倉使節団の代表として、欧米諸国を調査した人物です。富国強兵を目指す日本ですが、西洋の桁違いの発展を知ることにつながりました。

岩倉使節団は、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、中江兆民、津田梅子などの著名人を含む総勢107名が1年10か月かけて、欧米12か国(米・英・仏・独・伊・ロシアなど)を視察しました。

岩倉使節団によって西洋の桁違いの文明の差を知ることになりますが、欧米諸国に対しての挨拶という意味合いもありました。

富国強兵を目指すべく、欧米諸国を視察するという行為は、日本が下に見られないようにする狙いがあります。その結果、日本は列強に侵略されずに済むようになりました。

参考:ウィキペディア「岩倉具視」
歴史戦国でワクワクしたい!BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)「岩倉使節団はトホホお粗末~だから明治六年政変の西郷下野につながった?」

第6位 東郷平八郎

享年 86歳(1848年1月27日~1934年5月30日)
時代 幕末・明治・大正・昭和時代
影響 日本の近代化の成功を世界に知らしめる


東郷平八郎は1905年の日露戦争時の日本海海戦の際に、「三笠」の連合艦隊司令長官としてバルチック艦隊を撃破し、日本を勝利に導いた人物です。

東郷平八郎の活躍により日本がロシアに勝利した際には、ロシアの圧力に苦しんでいたトルコやフィンランドなどの国々を歓喜させ、「アドミラル・トーゴ―」という名称と一緒に知られるようになりました。

日露戦争の勝利がきっかけで、日本の不平等条約が完全に撤廃され、アジアの国の中で唯一、列強と同等に扱われるようになりました。

参考:ウィキペディア「東郷平八郎」
honcierge ホンシェルジュ「5分で分かる日露戦争!原因、影響、日本の勝因を分かりやすく解説」
歴史人「東郷平八郎とは?名言や子孫、肉じゃがやイケメン説・身長についても解説!」

第5位 豊田佐吉

享年 63歳(1867年3月19日~1930年10月30日)
時代
 幕末・明治・大正・昭和時代
影響 世界中で使用される交通手段にした


豊田佐吉は、今現在世界中で影響を与え続けているトヨタグループの創始者です。豊田紡績(トヨタ紡績)、豊田自動織機製作所(豊田自動織機)などトヨタ自動車に関連する企業を創業しました。

豊田佐吉は生涯で発明特許84件、外国特許13件の特許を取得しており、発明家であり、実業家であることが知られています。

また豊田佐吉の長男である豊田喜一郎は、後にトヨタ自動車を創業し、トヨタ自動車は老若男女問わず、世界中で愛され続けられるようになりました。

参考:ウィキペディア「豊田佐吉」

第4位 伊藤博文

享年 68歳(1841年10月16日~1909年10月26日)
時代 幕末、明治時代
影響 韓国併合


伊藤博文は初代内閣総理大臣や初代韓国総督などに選ばれたり、日清戦争・日露戦争で戦後処理を行ったりした人物です。

伊藤博文が頂点に君臨する大日本政府は、清王朝やロシアなどの大国相手に戦争を仕掛け、日本を勝利に導きました。そのため、日本はアジアの国の中で唯一列強の仲間入りを果たすことに成功します。

しかし韓国のハルビン駅で、日本の韓国支配を憎む活動家の安重根に暗殺されます。この事件がきっかけで、日本は韓国に対し韓国併合を行います。

参考:ウィキペディア「伊藤博文」

第3位 山本五十六

享年 59歳(1884年4月4日~1943年4月18日)
時代 明治・大正・昭和時代
影響 日米開戦に発展


山本五十六は1941年12月にハワイの真珠湾に奇襲攻撃を命じた人物として知られています。真珠湾攻撃により日米開戦となりました。

山本五十六はアメリカに留学した経験があり、アメリカの軍事力は日本と比べ物にならない凄さであること実感し、奇襲が有効的だと考えました。

真珠湾攻撃により、戦争に消極的だったアメリカ国民の怒りを買い、太平洋戦争に突入してしまうきっかけになってしまいました。

参考:ウィキペディア「山本五十六」
産経WEST「パールハーバーの誤算(2)職を賭した山本五十六の『奇襲』決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令」

第2位 板垣征四郎

享年 63歳(1885年1月21日~1948年12月23日)
時代 明治・大正・昭和時代
影響 日本軍の中国出兵を進めた


板垣征四郎は1931年に満州事変を実行し、国際社会から非難を浴びるきっかけを作った人物です。東京裁判でA級戦犯で絞首刑になりました。

板垣征四郎は関東軍の高級参謀として、南満州鉄道の線路を爆破しました。またその行為を中国軍の仕業だとして、満州国を建国しました。

板垣征四郎が引き起こした満州事変は、日本政府の許可をとっていませんでした。そのため、日本が国際社会から孤立する原因を作ってしまいました。

参考:ウィキペディア「板垣征四郎」
コトバンク「板垣征四郎」
honciergeホンシェルジュ「5分で分かる満州事変!原因、関東軍の目的を分かりやすく解説!」

第1位 盧溝橋で便所に行っていた兵士

享年 不明
年代 昭和時代?
影響 日中戦争の間接的な原因になった?


盧溝橋事件は、1937年7月8日の午後10時頃に、北京郊外の盧溝橋で日本軍の演習の終わり頃に起きた事件です。日中戦争に発展する事件となります。

日本軍が演習を終えた後に、どこからか銃声が聞こえ、たまたま日本軍の兵士が1人行方不明になっていました。そのことがきっかけで中国軍の仕業だということで、双方で小規模な武力衝突が発生しました。

その行方不明だった兵士は、たまたま便所に行っていただけですが、銃撃戦に発展してしまいました。

盧溝橋事件は3日後に日中双方が和解し、停戦になりました。しかし、日中戦争のきっかけになったといえるこの事件は、便所に行っていた兵士が原因の一つと言われています。

参考:ウィキペディア「盧溝橋事件」
歴史人「盧溝橋事件とは?きっかけや真実、トイレに関する逸話などをわかりやすく解説!